思想強めな文章から良い感じの話になって最終的に全く関係ないことを言う記事
【注意】以下の文章は当記事の核となる部分が欲しかったが故のフィクションであり、実在するさかももの思想とは一切関係ありません。
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人間は死後、どこへ向かうのか?
最近、そんなことばかりを考えてしまっている。
私は「死にてえ」が口癖だ。
別に本当に死にたくて言っているわけではない。
眠い〜とか、お腹すいたね〜とか、その程度のノリでの発言である。
何なら「こんにちは」と同等の価値すらも見出している。ハロー、ニーハオ、ブエナスタルデス、グーテンターク、シニテエ!
私のモットー、それは厭世観(いわゆるペシミズム)である。
学校で「目標を書いてね」と言われた際に「ペシミズムやめる」と書いたくらいだ。ウケ狙いだった。身内にはそれなりにウケた。冒頭にフィクションだと書いたが、コレだけは事実である。恥ずかしい。
話を戻そう。
人間は死後どこへ向かうのか、というテーマである。
私は正直、天国も地獄も無いと思っている。死んだ瞬間に新しい命となって生まれ変われると、そう思っている。
だから私は来世に期待しているのだ。
生まれ変わったら、チラコイドとかになりたい。
葉緑体の一部のことです。
なんか、推しの家の庭に生えてるクソみたいにどうしようもなく目立たない小汚い雑草の葉緑体。
それになれたら、幸せだな、と思う。
ああ。地球って、広いんですね。
目には見えなくても、葉緑体はあるし、チラコイドもあります。
私は歩道橋の上から星を眺めるのが大好きですが、そこから見える星なんて、ほんの少しだけ。
でも、人工の光に輝き負けた星が、頭上には、宇宙には、たくさん浮かんでいる。目には見えていないだけで。
そう思うと、私の存在も実質星なのでは????…なんて、思えてきちゃいますね。
私という存在。
今は、周りの光の強さに負けてしまっているだけで、光る素質は十分にあるのかもしれない。だから私はいつか、煌煌と輝いてみせます。
あの星のように。
軟骨が入ってる鶏つくねの存在意義がマジで謎すぎ早く廃れろカス